丸いベゼルにはフランボワーズ色のルビーと天然真珠が留められ
アンティークらしい美しい彫金はブラックエナメルで飾られています。
とても綺麗なリングなのですが、
このリングの魅力はこれだけではなく、
実はとても面白いものが内蔵されているのです。
非常に珍しいもので、
今までに沢山のアンティークに出会ってきましたが、
これは約20年間で初めて見るタイプのリングで心踊っています!
このリングのベゼル裏には小さな丸いガラスが二つ嵌め込まれていて
リングを光にかざし、片目をつぶった状態でガラスを目に近づけて覗き込むと
上の画像のように、
ガラスの中に極小の女性の写真がおさめられていることが分かるのです!
写真は中に浮いているような感じで目に前に現れます。
こんなにも小さな写真を誰がどうやって撮影し、リングに収めたのかいろいろ調べてみました。
非常に面白いアンティークだと思います。
この写真は何とわずか1mmの大きさです!
ルネ・プルーデント・パトリス・ダグロン(1819–1900)
光学宝飾 / 「秘密の指輪」
このタイプの極小写真は1857年に
ルネ・プルーデント・パトリス・ダグロン(1819–1900)によって様々な技術を組み合わせて発明されました。
まず、1851年にフレデリック・スコット・アーチャー(Frederick Scott Archer)によって開発された
「湿板写真法(wet collodion process)」でコロジオンは
写真の感光材をガラス板に固定するための手段として使われていました。
この湿板写真法は、コロジオンが乾燥する前に露光と現像を行うことで高い解像度の写真を得る技術で、
非常に詳細な画像が得られるため、写真技術の進歩に大きな影響を与えました。
コロジオンの発明と応用により、写真がより広範囲で使用されるようになり、現代の写真技術の基礎を築いたとされています。
次に、19世紀の発明家ジョン・ベンジャミン・ダンサー(John Benjamin Dancer)によって考案されたマイクロフィルムは、
情報保存技術で、文書や画像を極小サイズに縮小してフィルムに保存する方法でした。
ダンサーは1850年代にこの技術を開発し、特に大量の情報をコンパクトに保存する方法としての可能性を広げました。
マイクロフィルムの仕組みは文書や画像を特殊なカメラで縮小し透明なフィルムに記録するというものです。
この縮小技術によって膨大な量の文書を小さなフィルムに保存できるため
図書館や政府機関、研究機関での情報保存手段として広く採用されました。
これは約3平方ミリメートルの写真微小画になり、
顕微鏡で観察するために使用されました。
このマイクロフォルムの技術と湿板写真法で極めて小さな写真を作ることができました。
最後に、19世紀のイギリス貴族で発明家のチャールズ・スタンホープ(3代スタンホープ伯爵)によって考案された
スタンホープレンズ(Stanhope lens)は小型の凸レンズでした。
このレンズは非常に小さな物体や画像を拡大して見るために使われ、
特に小さな写真や文字を拡大表示できることから、
ミニチュア写真や装飾品としての使用が普及しました。
スタンホープレンズはガラスの円筒で両端が凸型になっており一方がより凸型になっています。
ルネは、このスタンホープレンズを改良し、
一方の端を平らにして、もう一方の端の焦点面の距離に正確に位置させました。
そしてレンズを2つに切り、カナダバルサムでマイクロフィルムを接着しました。
そして、先のマイクロフィルムと組み合わせて
小さなレンズを通して肉眼で詳細な写真やテキストを確認できるようにしました。
そして、ミニチュア写真とスタンホープレンズを組み合わせた独自の
「ミニチュアフォトグラフィー」によって大きな成功を収めました。
この改良されたスタンホープレンズは、
指輪、ペンダント、象牙のミニチュア、十字架などに取り付けるのに十分な小ささで、
微小されたスケールでも品質や鮮明さを失うことなく詳細な画像が可能になり、
1859年のパリ国際博覧会で大衆の間で大成功を収めました。
その結果、ルネ・ダグロンは1859年にフランスのエン県ゲックスに工場を開設し、
60人の従業員を雇用して1日に12,000個を生産しました。
彼は1860年にこの発明を「写真微小宝飾」または「微小写真ジュエリー」という名前で特許を取得し、
1862年には『写真微小シリンダー、ジュエリーへの取り付け済みおよび未取り付けのもの』という書籍を出版しました。
また、この革新的な技術は同年1862年のロンドン国際博覧会でも発表され、
ヴィクトリア女王に一組の微小写真を贈呈した際、名誉ある評価を受けました。
さらに1867年のパリ万国博覧会では指輪やペンダント、象牙のミニチュア、時計の鍵の形で再び技術を披露し、
その精度と独創性が広く称賛されました。
Manuel illustré de photographie
ルネ・ダグロン 著書 1867年
柳川春三により翻訳された和書
柳川春三
ルネ・プルーデント・パトリス・ダグロンは、
1819年3月17日にサルト県ボーヴォワールで生まれ、1900年6月13日に亡くなったフランスの写真家であり発明家です。
1859年6月21日、彼は初めてマイクロフィルムの技術の特許を取得しました。
そして、1860年にスタンホープレンズとマイクロ写真を組み合わせた技術を開発しました、
この写真は直径3ミリメートル、長さ5〜6ミリメートルのガラスの棒に貼り付けられ、約100倍の拡大が可能でした。
ダグロンは1867年の万国博覧会で「マイクロポイント」と呼ばれる技術を発表しました。
これは非常に縮小された写真で、スタンホープ顕微鏡などの装置を使わないと読むことができないほど小さなものでした。
この技術により、1平方ミリメートルの表面に400人の議員の肖像を収めることができました。
この技術は、多くの著書に記され、例えばルイ・フィギエによる
『科学の驚異』や『現代の発明の一般説明』にも紹介されました。
ダグロンの会社はこの技術を使って写真を宝飾品や指輪、ペンダントに組み込むことができ、
今回ご紹介しているようなリングなどが作られました。
1870年、パリ包囲戦の際にダグロンは、この技術を利用して鳩を使ったメッセージ伝達を提案しました。
彼はこの「マイクロ・デペッシュ(微小伝書)」のアイデアを郵便局長のジェルマン・ランポンに提案し、すぐに採用されました。
ランポンとの財政的な取り決めを経て、ダグロンは11月12日に仲間のアルベール・フェルニクとポワゾとともに、
必要な機器を搭載したニエプス号の気球でオルレアン駅から飛び立ちました。
しかし、気球はプロイセン軍によって攻撃され、占領地に不時着せざるを得なくなりましたが、
ダグロンは何とか脱出に成功しました。
その後、ダグロンはトゥールに向かい(ランポンは彼がクレルモン=フェランに留まることを望んでいましたが)、
スティーナッカーやガンベッタと約8日間にわたり交渉しました。
必要な装置が破壊されたため、
スティーナッカーの求める品質のマイクロ写真を12月11日にようやく制作することができました。
その間にもプロイセン軍は進軍しており、レオン・ガンベッタはボルドーに撤退しました。
ダグロンもボルドーに向かい、12月15日にボルドーからの電報の写真撮影ができるようになりました。
包囲中に10万通以上の電報がパリに送られました。
ダグロンの装置(約1870年)
マイクロ写真用装置、「プルーデント・ルネ・ダグロン」発明
J. デュボスク製造 パリ フランス
9つのレンズを備えた複製装置で記念品として羽根や指輪などの物品にマイクロ写真を作成するためのもの。
コロジオン製ネガフィルムのサイズは8.4 x 4.2 cm。
約20年間で初めて見たとても珍しいリングです。
是非、珍しいアンティークジュエリーとしてコレクションされてみてはいかがでしょうか?