Paul Louchet オリジナルインボイス付き 18k 35.8g アール・ヌーヴォーゴールドネックレス 天然真珠 サファイヤ アイビー 
                        
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ずしりとした重みを感じさせる美しいゴールドネックレスです。
短めの作りですが35.8gの重さがあり
厚みがあるしっかりした作りのパーツを一周くるりと繋いだ大変贅沢な作りをしており
全体的にペラペラしておらず重厚です。
深いレモン色のような、明るさと深みの両方を感じさせる
なんとも言えないアンティークゴールドの色合いがとても綺麗です。
各パーツには小さくても艶やかで上質な天然真珠とサファイヤが飾られています。
アール・ヌーヴォーのゴールドのネックレスの中では
大変上質なものとして作られたことが分かるお品物になります。
 
 

 
厚みがあるパーツですが透かしの細工が施されており重さは感じさせず軽やかな雰囲気です。
写真ではどうしても平面に見えてしまいますが、
実物は細かな葉の造形など立体感にあふれており大変美しい彫金です。

 
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また、このネックレスには当時の貴重なオリジナルのインボイスがついており、
これによると1930年8月20日に3 Rue AUBERにあるLouchet ciseleurにて購入されていたことが分かります。
オリジナルインボイスがついているものは本当に珍しくまず出会うことができません。
私も約20年間でオリジナルのインボイスがついていたジュエリーは確か3個ほどしか出会えてなかったと思います。
このインボイスから当時の雰囲気がより鮮明に伝わってきますので、
アンティークらしい楽しみを感じます。
このネックレスを作ったポール・ルシェはラリックと仕事をしていたほど
技術があり、当時有名なジュエラーでした。
ジュエラー経歴
〜 ポール・フランソワ・ルシェ Paul François Louchet 〜
1854年4月12日パリ生まれ 1936年8月16日モーで死去
フランスのブロンズ職人 彫刻家 画家 版画家
ポール・ルーシェは、ジュール・ルフェーブルとアンリ・アルピニエスに師事し、
パリサロンにも出展しました。
彫刻家、ブロンズ職人、そして彫金師として活動し、
パリ9区のオーベル通り3番地にアトリエを構え、
ルイ・シャロン、シャルル・コルシャン、ハンス・ストルテンベルク・レルケなどの彫刻家によってデザインされた
アール・ヌーヴォー様式のブロンズ作品を制作し、
「Louchet Fondeur Paris」や「Louchet ciseleur」のマークが付けられました。
ルイ・マジョレル、ジャン・ドーム、ルネ・ラリックと親しくブロンズ製造業者組合の会長も務めました。
彼の弟たち、シャルル・サヴィニアン・ルーシェ(1858-1918)と
アドルフ・アントワーヌ・ルーシェ(1860-1928)も同じ分野で働いていました。
1887年にエルブレイの市長に就任しパリの下水がアシェールの平野に流れることに対して強く抗議し敗訴しました。
これにより生じた不衛生な状況で発生したチフスの流行により彼の15歳の娘が亡くなり
悲嘆に暮れたポール・ルーシェは1890年から絵画に専念するようになりました。
また、彼はエッチング作家でもありました。
アンリ・アルピニエスと友人であり、
共にフォンテーヌブローの森で絵を描き、メランやモーの地域でも活動し、
北アフリカにも旅行しました。
彼の作品は特に独特の光の表現で知られています。
1936年8月にモーで亡くなり、エルブレイのシャンヌヴィエール通りの墓地に埋葬されました。
受賞歴
ポール・ルーシェは、1900年の万国博覧会で金メダルを受賞し、
セントルイス、リエージュ、ミラノの博覧会でもグランプリを受賞しました。
栄誉
1908年7月13日の法令により、ポール・ルーシェは国家勲章レジオン・ドヌールの騎士に任命されました。
批評
「ジュール・ルフェーブルによる厳しいラインと、アルピニエスによる自然主義的な真実の感覚の間で、
ルーシェは後者を選び、バルビゾン派のアウトドア主義と印象派の光の表現の境界に立っていました。
彼の作品は繊細で、水辺の風景はすべての逸話を排除し、冬の光の中で描かれています。」 - ジェラルド・シュール
展覧会
個展: パリ、アルテス画廊、1922年4月
グループ展: パリのサロン、国立美術協会のサロン
公共コレクション
フランス:
エルブレイ市役所: 絵画
ランス美術館: 彫刻(アンリ・ヴァスニエの遺贈)
イギリス:
ブライトン・ホーヴ美術館: 彫刻作品