美しい非加熱の天然サファイヤと天然真珠で飾られた1840年頃の素晴らしいゴールドネックレスです。
時代の特徴を反映した繊細で華やかな目を見張るような彫金が施された大変貴重なお品物で、
このネックレスは洗練された彫金と、皮を巻いて丸めたようなモチーフで、
ルネサンス時代の宝飾品のスタイルに影響を受けており、1840年頃のものと思われます。
1830年代~1840年代においてフランスでは金が非常に貴重でした、
それはフランスが戦争に敗北し重い賠償金を課せられる等の経済的な理由に加えて
ヨーロッパ全体での金不足が影響していた為でした。
宝飾職人は金に似た合金であるポンポン、
金めっきされた銀のヴェルメイユなどの金の代用品に頼らざるを得ませんでした。
金を使う場合でも、とても軽く薄く作るように工夫していた為に壊れやすく、
この時代の金の宝飾品は残っているものが少ないのです。
残っていても数百年の間に潰されたり亀裂が出来たり、
当時は鉛でしか修理できなかったこともあり、鉛で修理された跡があるものが多く、
また180年以上の間に、数々の経済危機や流行や好みの変化、
戦争や破壊などが、生産された宝飾品の大部分を破壊してきました。
残っているものは生き残りなのです。
そういった意味でも、このネックレスはほぼ完璧な状態を保っている為、
奇跡のように貴重なのです。
また、素材使いの豪華さも大変に例外的で注目すべき点です。
当時、金以外にもヨーロッパ全体、特にフランスでは宝石不足に悩まされていました。
殆どの場合、色付きガラスで代用したり、
価値の低い白い石(水晶や白トパーズ)を色付きのパイロンに留めたりしていました。
裕福な買い手は半貴石を使っていて、
ブラジルからはアメジストやトパーズ・シトリン・アクアマリン、
ドイツからはガーネットやカルセドニー・瑪瑙、
イランからはターコイズ、
アフガニスタンからはラピスラズリが供給されていました。
これらの石がこの時代の宝石細工で最も一般的に使われている石です。
より高価な貴石は半貴石よりもさらに希少で、貴石の鉱山は少なく、採掘方法も劣っていました。
ダイヤモンドは主にブラジル、
サファイアはセイロン・タイ・ビルマ、
エメラルドはコロンビア、
ルビーはインド・ビルマ、
真珠はアラビア半島から来ていました。
英国人は海を支配しフランスには殆ど宝石が渡らず、
フランスに届いたとしても法外な値段でした。
こういった理由で、フランスの宝飾職人が使える貴石は非常に少なかったのです。
このネックレスは、すべての点でロマン主義時代のパリの宝石細工の例外的な作品と言えます。
今日では真似のできない見事な仕事で作られ、金も多く使われて重量も38.9gもあり、
ネオ・ルネサンスのスタイルの始まりを代表するような作品で
真珠とセイロン産の素晴らしい天然サファイアで飾られています。
変形や修理跡もなく非常に良い状態です。
ただ、中央のプレートに何か(おそらく十字架)が吊り下げられていたと思われますが、
裏側に切断された留め具が見えますので、後の年代に取り外されたと思われます。
この非常に独創的で希少なネックレスは今までに見たことがなく、
大層裕福な貴婦人のものであったことは間違いありません。
彼女はおそらく、ルイ・フィリップ王の宮廷やテュイルリー宮殿で開かれた舞踏会で、
このネックレスを首にかけて誇らしげにしていたことでしょう。
Banquet des Dames dans la salle du spectacle des Tuileries, en 1835
VIOLLET-LE-DUC Eugène Emmanuel (1814-1879)
当時、サファイヤは大変希少で高価な宝石であった為、
こんなにも多くのサファイヤがネックレスに留められていることは大変例外的と言えます。
このような細かなパーツも華やかですが、中が空洞になっています。
非常に繊細な作りの為、このようなパーツは潰れてしまっていることが多いのですが
大変綺麗な状態を保っています。
通常、この年代のお品物は裏面の状態も悪いことが多いのですが、
この品物は裏面も補修の跡もなく綺麗な状態を保っています。
一箇所、垂れ下がるパーツを外したような跡が見られるのみです。
クラスプのコンディションも大変良いです。
41.4cmとショートタイプのネックレスです。
華やかなデザインですがカジュアルにお使いになってもとても素敵です。