緑の石の指輪の物語 後編「1300年後の目覚め」メロヴィング王朝 エルペス
メロヴィング朝 エルペス
緑の石の物語 後編
1300年後の目覚め
(この記事は4分〜5分程で読める内容です。)
•••長い月日が流れ、エルペスの若い貴婦人は同じ地に埋葬された親族や縁者らに囲まれ静かに眠っていました。
彼女の指にはめられた緑の石の指輪は、時を経ても変わることなく輝き、
彼女の消え失せた緑の瞳を空しく想起させるようでした。
そして、約1300年後の1886年1月•••このエルペスの忘れ去られた墳墓は突然蘇る事になるのです。
エルペスの墓地の所在地、シャラント県、クルビヤック(Courbillac)自治体。
ある朝、ウマゴヤシ畑で働いていた二人の農夫が偶然に鉄製の複数の武器とブロンズと銀でできたフィビュラが地面から顔を覗かせているのを発見しました。
農夫達は掘り出し物を、フィリップ・デラマン氏(Philippe Delamain、1847年~1902年)のところに持っていくことを思いつきました。
デラマン氏は裕福なコニャック酒の商人で、暇は時には古代遺跡の目利きもしている「古物研究家」で、
デラマン氏はその掘り出し物を見るや否や、メロヴィング王朝の装飾品と判断し、
急いで遺物が発見された土地を買い取り、すぐさま発掘作業をする準備に取り掛かりました。
デラマン氏のような美術愛好家による発掘作業はこの時代には盛んに行われた道楽で完全に合法でしたが、
本当のところでは、この作業は考古学というよりも略奪の側面が強かったのです。
彼が「発見した」墓地は少なくとも縦400メートル、横20メートル、両側面に舗装されて側溝があるローマ街道が走る広大な面積を占めていました。
墓は泥灰土のとても固い地盤の中に直接掘られており、墓は約40センチの間隔で一つずつ平行に列を作って配置され、
その中で最も富裕なものは石造りの箱に入れられていました。
参考画像
メロヴィング王朝の貴族の墓
6世紀
墓の中では身体は頭を西に向けて仰向けに横たわっており、男性は両腕を身体の横に沿わせ、女性は下腹部の上で両手を組み合わせていました。
デラマン氏の発掘作業は1886年2月〜1893年11月の間に、全部で1,600基もの墓が発掘され、
中でも1891年までに発掘された900基の墓は1892年に「LE CIMETIERE D'HERPES」という図版本が出版されました、
詳しい解説と色刷りされた26点の図解が添えられて、今日では希少価値のある本となっています。
LE CIMETIERE D'HERPES
1892年に出版されたエルペスでのデラマン氏の発掘の図版本からの版画図説
図版本に添えて写真を撮影した複数のフィビュラは同じく6世紀のメロヴィング王朝時代の装身具になります。
SEMBA ARTコレクションより
社会階層は死の際も尊重され、女性の貴族の墓は僅か8基のみが見つかっており、
女性の墓には希少な品が男性の墓よりも多く納められていました。
男性の墓には武器とベルトのバックル以外の装身具はあまり納められていませんでしたが、
女性の装身具としては、指輪、バックル、また帯や靴・靴下を留める為の留め針、
そしてフィビュラが発掘されており、フィビュラはガーネットがはめ込まれたもの、
取っ手や突起がある大型のもの、小型の鳥の形のもの、丸いものなど様々な形状をしていました、
装身具の殆どはブロンズ、時にはシルバー、そして非常に稀にゴールドで出来ていました。
発掘参考画像 サンジェルマンアンレー考古学博物館
特に豪華な副葬品としては6個の金の指輪、金のイヤリング、刺繍が施されたベールに由来する金の糸、銀の細い輪がはめられた水晶の珠がひとつ、
ガーネットがはめ込まれたシルバーギルトの美しいフィビュラ、バルト海の琥珀の珠のネックレスとブレスレット、
ガラスの円錐型の壺等が発掘されています。
また、エルペスでは結婚や例外を除いて指輪は右手にはめられていたようです。
エルペスの墳墓
埋葬された調度品
6世紀
埋葬品は他には、骨製の櫛、ガラスや琥珀の珠、鋏、爪楊枝、毛抜き、陶器類、ブロンズの桶、
そして同じく故人に伴う形での希少で貴重なガラスの容器がありました。
約10年かけて分類した1,600基の墓の中から、発見された金の合計は何と僅かに40g以下で、
この時代にいかに金が希少であったかを改めて示す記録だと思います。
発掘内容はデラマン氏の発掘日誌にもこのように細かく記載されていました。
〜 デラマン氏の発掘日誌 〜
1888年12月
発掘した墓、4.3グラムある金とガーネットの小さな指輪、鳥の頭とガーネットが飾られた一対のフィビュラが納められていた。
参考 クロワゾネ ガーネットの指輪 エルペス出土 6世紀
1889年5月5日
発掘した墓、一対のシルバーギルトのフィビュラ、モイザクのようにはめ込まれたガーネットの丸いベゼルの6gの指輪が収められていた。
1889年6月
発掘した墓、古代ローマのインタリオで装飾された6グラムの金の指輪とガーネットで装飾された銀のプレートが納められていた。
1890年1月15日
発掘された墓、左手に着けられていた9グラムの小神殿風の装飾の金の指輪、刻みがはいった銀の指輪、一対の丸いガーネットのフィビュラ、一対のシルバーギルトの先端部が放射状になったフィビュラが納められていた。
左 参考画像 6世紀のメロヴィング王朝時代の貴族の若い妻
右 エルペスの墳墓
1893年3月15日 第19番墓より発見
緑の石の指輪
そして、緑の石の指輪のエルペスの若い貴婦人の墓は、この広大な墓地の中で一番裕福なものでした。
この墓は正確には1893年3月5日に発掘されています。
デラマン氏の発掘日誌(1893年2月18日~5月5日)にこの墓について以下のように記されています。
「第19墓とその詳細:もっとも美しい墓のひとつ。
埋蔵物:銀線で囲んだ水晶ひと珠、中央に対面した2つの指状に突起した鳥の頭があるフィビュラひとつ、盾の形の銀製のフィビュラひとつ、琥珀と銀のイヤリング2つ、4つの様々な飾り玉、爪楊枝・耳かきひとつ、細工が施された円錐形の美しいグラス、各種のかけら、とても美しい金の指輪」。
興味深いことに、同一の墳墓について、デラマン氏からドゥルーシュ(Deloche)に宛てた1893年3月10日の手紙では
記録違いなのか少し違って以下のように描写されています。
「婦人が埋葬された墳墓に納められていたものは、放射状の大きなブローチ1つ、ガーネットのリング2つ、シルバーギルトのオウムのフィビュラ2つ、銀にはめ込まれて首に下げられた水晶の珠1つ、幾つかのガラスと琥珀の珠、円錐形の美しい壺1つ」
現在、この緑の石の指輪のエルペスの若い貴婦人の墓の埋葬品の一部は世界の美術館と
ギャラリーソレイユが所有するSEMBA ARTコレクションに分かれてそれぞれが保存されています。
1 ベルリンの博物館 (中央に対面した2つの指状に突起した鳥の頭があるフィビュラ)
2 大英博物館 (イヤリングひと組、銀引きをした水晶ひと珠)
3 メトロポリタン美術館( 盾の形の銀製のフィビュラ)
4 SEMBA ARTコレクション (緑の石の指輪)
参考 第19墓から発掘されたとされる埋葬品
ガーネットがはめ込まれて向かい合う鳥の頭が飾られた掌状の先端部を持つ、
金めっきが施された銀の取っ手のついたフィビュラ
。
金と分割されたガーネットのひと組のイヤリング。
また、エルペスでデラマン氏により発掘された、緑の石の指輪を含む指輪26点は、1900年にマキシマン・ドゥルーシュ(Maximin Deloche)の著作、
古の指輪についての資料である『Anneaux sigillaires』にレファレンス217~242として掲載されました。
『Anneaux sigillaires』
マキシマン・ドゥルーシュ(Maximin Deloche) 著作
レファレンス231として記載されたSEMBA ARTコレクションの緑の石の指輪
263~264頁
1901年、デラマン氏は所有するメロヴィング王朝時代のコレクションのもっとも大きな部分を、
有名な美術品収集家であるエドゥアール・ギユー(Edouard Guilhou)にパリの古美術商ウゾー(Houzeau)を介して売りましたが、
1902年4月にデラマン氏は死去します。
1905年3月、今度はエドゥアール・ギユーがこのコレクションの一部を指輪を除いてパリの競売にかけました。
大英博物館がこの機を生かし、古銭研究家のフアルダン(Feuardent)の仲介により
何点かの落札した品物は、現在もここに保管されています。
その他の品々は、私的な、又は公的な名高いコレクションへと散逸しました。
エルペス由来の埋葬品
6世紀
大英博物館
また、エドゥアール・ギユーは自身の指輪コレクションの目録を作っており、この本にはエルペスの緑の石の指輪も掲載されています。
現在、この目録は稀少本となっています。
『Catalogue of a collection of ancient rings formed by the late E. Guilhou』
(故エドゥアール・ギユー
により作成された古のリングのコレクション目録)
ギユー・コレクションにレファレンス869として記載されたSEMBA ARTコレクションの緑の石の指輪
解説・写真
エドゥアール・ギユーの指輪コレクションとして、エルペスで発見されたリングも目録に869番として緑の石の指輪の記録が残っています。
更にギユーはコレクションの中でも最も重要で美しい指輪を選び抜き、より鮮明な写真を付けて別の目録を作りました。
この特別で稀少な目録の中にもエルペスの貴婦人の緑の石の指輪が掲載されています。
『Catalogue of the superb collection of rings formed by the late monsieur E. Guilhou』
(故エドゥアール・ギユー氏により作成された素晴らしい古のリングのコレクション目録)
リファレンス543として、再び写真の図説18ページに記載される緑色の石の指輪。
多くの指輪で構成されるギユーコレクションの中でも最も重要な選び抜かれた指輪達、
白黒写真付きの別の目録が作られ、その中にもエルペスの貴婦人の緑の石の指輪が掲載されています。
その後、エドゥアール・ギユーのコレクションは1937年11月9日にロンドンのサザビーズによって売られ、
ブリュッセルの美術愛好家として有名なアドルフとスザンヌ・ストックレー夫妻によって落札されました。
アドルフ・ストックレー(1871年~1949年)は、ベルギーの裕福な金融業者で美術愛好家でした。
彼の妻であるスザンヌ・ステヴァンスは画商の娘で、絵画の専門家、
そして画家であるアルフレッド・ステヴァンスの姪で、有名な建築家ロベール・マレ=ステヴァンスの従姉妹でした。
夫妻はテルヴュラン通り279番地にある「ストックレー邸」に居住しており、
それはヨーゼフ・ホフマンによる最初のアール・デコ様式で建造された贅沢な邸宅で、
室内の装飾はグスタフ・クリムトとフェルナン・クノップフが担当していました。
その後、緑の石の指輪を含むギユーのコレクションは、ストックレー 一族の下、2019年にいたるまで保管されていました。
左 スザンヌとアドルフ・ストックレー夫妻。ブリュッセルのストックレー邸。
右 グスタフ・クリムトの壁面パネル画(『生命の樹』、ストックレー邸、1909年)
地中の暗闇の中で陽の光を夢見ながら何世紀にもわたり名前も記憶も失われてきたメロヴィング王朝の貴婦人の結婚式の指輪は、
19世紀に目覚めてから、126年もの間、美術愛好家達の手から手へ、最後はスタックレー夫妻にと手渡され、
今、SEMBA ARTのコレクションの中で輝いており、そのことをとても嬉しく思います。
古代ジュエリーはその物語を想像することも楽しみの一つですが、
過去に遡って発掘状況が分かっていたり、写真付きの資料が残っているものは殆どありません。
そういった意味でも本当に希少な指輪です。