リュディアの女王でヘラクレスの恋人、
オンファレをモチーフにした古代ローマのカメオリングをご紹介いたします。
古代ローマ時代のカメオとしては例外的に緻密な彫りが時を超えた魅力を放っており、
触れれば壊れてしまいそうに繊細で、同時に力強いです、
古代ローマのカメオの多くはざっくりした彫りのものが多いため、
このような繊細なカメオは大変希少で、
このサイズのカメオとして当時の最高級品であったクオリティです、
さらに、リングも含めて、オールオリジナルですから、
このような作品には本当に出会えず、美術館級の作品になります。
カメオはインタリオよりも作ることが難しく、
さらに残りくいために、
古代のカメオは古代のインタリオよりも数がずっと少なく希少です。
このカメオはコンディションも大変よく、欠けなどもありません、
こんなにも美しい作品が欠けることなく残っていた奇跡に感謝したい作品、
女王のモチーフに相応しい、気高い雰囲気に溢れています。
古代ローマ フレスコ画
ヘラクレスとオンファレ
45〜79 AD
ナポリ国立考古学博物館
オンファレはギリシャ神話に登場するリュディアの女王です、
フレスコ画でもわかりますが、オンファレは獅子の毛皮を身につけた姿で表現されています、
なぜ彼女がヘラクレスの毛皮を被っているか?それには理由があります。
、、、、ヘラクレスはゼウスとアルクメネの子でした、
嫉妬深いゼウスの妻ヘラから狂気を吹き込まれ、
親友イピトスを殺害してしまったことで病に取り憑かれてしまいます、、、
それを取り除くためにアポロンがいるデルポイの神託を受けに行きますが、
神託の巫女は取り合ってくれず、怒り狂ったヘラクレスがデルポイの宝を奪おうとしたところ、
神殿の主アポロンと決闘することなります。
見かねたゼウスが仲裁に入ったところ、アポロンがヘラクレスに予言を与えます。
「3年の間、奴隷として働けば殺人の罪も償われ、病も治るであろう」
ヘラクレスは奴隷となり、その主人がリュディアの女王オンファレでした。
ヘラクレスとオンファレは衣服を交換し、
ヘラクレスは女性の衣服を身にまとい奴隷として働いたのです、、、、
これにより、オンファレは獅子の毛皮を身に纏っていたり、
棍棒を持った姿で表現されるようになりました。
このユーモラスな神話は絵画の題材として好まれ
のちの芸術家達にもインスピレーションを与えました。
Hercules and Omphale
Bartholomeus Spranger
1585年
古代ローマのカメオは通常は1層から2層の石を使った作品が多いですが、
このカメオは3層の石を持つアゲートが使われ、
石の層の色を巧みに彫り分けてオンファレを彫り上げています、
石の層の色は、焦げ茶、白、茶色・赤の濃淡を含んだ色の三色です。
この石の色をうまく利用し、焦げ茶の層は彫りを引き立たせる背景に使い、
白い層はオンファレの肌を、赤から茶色の層でネメアの獅子の毛皮を
それぞれ彫り上げています。
オンファレの肌は滑らかに磨かれており、
赤〜茶色の層の部分は獅子の毛皮を表現するのにぴったりの色合いです、
彫り自体が豊かな毛並みを既に表現出来ていますが、
石の色に濃淡があるのでさらに豪奢な毛並みの雰囲気がよく伝わってきます。
これは、石の層の色を読む力と、それを利用した芸術的な発想力、
3層の石は1層2層の石に比べて彫るのがとても難しいので、
イメージを実現させる高度な彫刻の技術がないと出来ないことなのです、
当時の第一級の彫刻家によって作られた高級な品物であったことが想像できます。
オンファレの目鼻立ちの細かさ、豪奢な獅子の毛皮の毛並み、、、、
丁寧に丁寧に集中して彫ったことがよく伝わってきます。
写真ですと平面に見えてしまうのですが、
実物は立体感が非常に豊か、かつ繊細な表現に富んでいます。
リングの作りは中空です。
サイズ変更はできませんが、コレクションとしてお持ちになっても満足度の高い作品です。
リングのサイズは約11.5号です。
楕円形のリングですので、リングゲージでは正確なサイズが出ません、
指の形は個人差があると思いますが、実際に複数の人の指にはめて試したサイズ感になります。
残っていることが奇跡のような美しいカメオですので、
少しカメオの歴史についてお話しいたします。
カメオとは、単色か多層の様々な色が使われた石に彫刻をほどこしたものです。
起原は石に彫刻がなされていた紀元前2000年〜3000年のエジプトのスカラベにまでさかのぼります。
古代エジプトのスカラベ (紀元前19世紀) (メトロポリタン美術館)
1 – ギリシャのカメオ
沈め彫りとしてのインタリオは個人的な印章として使用されていたという特別な特徴があった為に、
インタリオは浮き彫りのカメオより早く出現しました。
カメオには そのような実用的な機能はなく、本質的には装飾の目的で使われました。
最初のカメオは、ギリシャ社会で贅沢の発展に伴い現れたのです。
エジプト人とフェニキア人は、カメオ彫刻と、稀に裏側に人間や動物の姿が彫刻されているスカラベを
紀元前7世紀中にギリシャに持ち込みました。
また、紀元前6世紀のエーゲ海近辺の金属製のコインの開発は、
その後カメオの彫刻を始めることになる彫刻家達を育成しました。
リディア (紀元前600年)
紀元前5世紀、ギリシャ人とエトルリア人はスカラボイド(様式化されたスカラベの形に彫られた石) に
神話のモチーフをいくつか彫刻しましたが、いわゆる «cameo» は、紀元前4世紀の後半に現れます。
その時、暗い背景に対して瑪瑙で明るく強調している対照的な層を使用した多層のカメオも現れました。
エルトリアのコーネリアン製スカラボイド(紀元前6世紀)
” The cameo form was invented about the time of Alexander the Great … The Hellenistic and Roman cameo was the response to a rising level of luxury . ” (Dr Martin Henig, Institute of Archaeology , Oxford)
「カメオの形(このカメオとは今日、私たちが知っている通常のカメオの事を説明しています。)はアレキサンダー大王の頃に発明された…ヘレニズムやローマのカメオは、贅沢さのレベルの向上を反映していた」
(マーティン・へニッグ博士、考古学研究所、オックスフォード)
今日、古代の芸術家に関して分かっている事は殆どありません。
歴史から分かることは、そのうちの幾人かの名前だけです。
例えば、キオスのインタリオ の彫刻家Dexamenos (紀元前5世紀に活動)、
Pyrgoteles (紀元前336〜323年にアレキサンダー大王の下で従事)、
蜂の群れに囲まれながら5層のサードニックスにリラを彫刻したことで知られる
熟練したギリシャの彫刻家サモスのDiodorusなどです。
アレキサンダー大王のカメオの肖像画、Pyrgoteles によって彫られたと言われている
(パリ、Cabinet des Médailles)
紀元前3世紀、最高のカメオ芸術は、支配者の肖像を彫刻するために使用されました。
カメオの彫刻は、政治的プロパガンダを目的とした一流芸術となります。
この時期から存在する最も美しいギリシャのカメオは、
プトレマイオスの支配者達の肖像です。
プトレマイオス2世と アルシノエ のカメオ
«Gonzaga cameo »(紀元前3世紀前半) (サンペテルスブルグ博物館)
現在博物館で保管されている全てのギリシャのカメオは、
ヘレニズム時代から紀元前4世紀の後半以降のものです。
アレースに扮したヘレニズムの王子 (紀元前2世紀)
ヘレニズムまたは初期ローマのカメオ (紀元前2世紀)
2 – ローマのカメオ
イリアスのテーマで彫刻された素晴らしいカメオ : トロイアスとポリュクセネー
(紀元前1世紀) (パリ、Cabinet des Médailles)
紀元前2世紀前半、ローマによるギリシャ征服の時代にローマでカメオ芸術の趣向は始まり、
紀元前1世紀後半に拡大します。
紀元前63年、ポントス の王ミトリダテス6世の死後、
ローマの将軍スッラとポンペイウスは彼のカメオのコレクションを押収してローマに持ち込み
美しいカメオは流行となりま す。
裕福なローマ人は、ギリシャの彫刻家にとって最高の顧客になりました。
ギリシャの彫刻家達の中にはローマに奴隷として連れて来られた者もいましたし、
その後、 職人としてローマに定住した者もいます。
徐々に、学校でローマの彫刻家が育てられ、その地でのスタイルを作り上げていった のです。
ローマのカメオ、1つはおそらくギリシャ人彫刻家によって彫られたもの (紀元1世紀)
2つ目はローマ人に彫られたもの (紀元2〜3世紀)
ローマのカメオのテーマは主に神話でした。
ギリシャ人同様、ローマ人もイリアスの英雄を表現することを好んでいました。
紀元前1世紀後半、帝政期 (アウグストゥス) の始めからローマの支配者たち、
特にユリウス・クラウディウス朝の王子もまた、
すでにコインで行っていた様にカメオで自身の肖像を広めたがっていました。
いくつかの素晴らしい皇室のカメオ (現在、重要な博物館にて所蔵されている) は、
大きな多層の瑪瑙に彫られてます。
ギリシャ出身の有名なローマの彫刻家Dioscoridesは、アウグストゥスの肖像の作家です。
アウグストゥスの肖像 (紀元前1世紀後半)
(パリ、Cabinet des Médailles)
皇室に関連するカメオ芸術 : 皇帝クラウディウス (およそ西暦50年)
皇帝セプティマスセウェルスの家族 (およそ西暦200年)
カメオ芸術は、紀元1世紀以降本当に少しずつ普及しました。
多くの職人がより小さく、より低品質のカメオを彫りました。
しかし、カメオは常にインタリオより非常に希少で価値がありました。
平面的なインタリオよりも立体的なカメオの彫刻ははるかに難しく時間を要した為です。
2つのローマのオニキスカメオ (紀元2世紀) (ギャラリーにて販売)
ローマ時代に最も一般的に使用された石はオニキス
(2層の瑪瑙で、上の層は白い方解石で、下の層は暗褐色または灰色青のカルセドニー) です。
時々、宝石を切り出す時に、土台の黒を強調する為に蜂蜜で満たして過熱することにより、
コントラストを増しているものがありました。
また最高品質の カメオは、3つの層、もしくはそれ以上の層を見ることができました。
3つのローマのカメオ (紀元2世紀) (ギャラリーにて販売)
最も小さなカメオは指輪やイヤリングにセットされていました、
そして、最も大きな大きなカメオはペンダントや家具の部品に埋め込まれていました。
指輪とペンダントにセットされているローマのカメオ
最も一般的なテーマについて説明致します。
- 皇室のメンバーの肖像 (これらのカメオはおそらく皇帝もしくはその家族からの贈り物でした。)
ユリウス・クラウディウス朝の王子の2つの肖像画 (紀元1世紀)
- 宗教的な題材: 神々や魔法のシンボル。これらのカメオの所有者は、
彫刻された神や女神の保護の下に自分を置こうとしていました。
例えば、多くのミネルバ (おそらく軍隊が着用)、メデューサ (メデューサは持ち主を守る)、
キューピッドを目にすることができます。
3つのローマのオニキスカメオ、ミネルバ、メデューサ、キューピッド (紀元1世紀〜2世紀)
(右の2つはギャラリーにて販売)
また、動物 (犬、ライオン、鷲)、幸運の碑文 (ほとんどの場合ギリシャ文字で書かれている)、
記号的なもの、日常的なトピックのものもありました。
Derek Content 氏のコレクションから2つの古代ローマのオニキスカメオ
例えば上に上げた2つのカメオ、
上段は結婚の記念のカメオ である有名な«junctio dextrarum »は互いに繋がれた2つの手で、
団結、結婚の象徴です。
この場合は必ず2つの手が組合わさったデザインです、
そうでなければ意味を持ちません。
下段の耳に当てた手は「思い出す」を意味するギリシャの合言葉です。
2つのローマのカメオ : ペガサスと « junctio dextrarum » (紀元1世紀〜2世紀) (ギャラリーにて販売)
参考に類似品や3つの層をもつカメオをご覧になってください。
カメオ 中空のゴールドリング
紀元前1世紀後期〜1世紀
ファレルコレクションより
今回ご紹介しているリングと同タイプの作りです。
1世紀前期 カメオ
プトレマイオス朝の女王 カメオ 紀元前2世紀〜1世紀
フランスの偉大なるカメオ
1世紀
フランス国立図書館
ヘレニズム時代のカメオ
紀元前1世紀後期
メディチ家コレクションより
ナポリ国立考古学博物館
17世紀のカメオ
イギリス女王のコレクション
18世紀のカメオ
19世紀のカメオ
また、このリングはIttai Gradel 博士のコレクションであったものです。
〜 Ittai Gradel博士 紹介 〜
Ittai Gradel博士は、デンマークのオーフス大学の古典考古学を卒業し、
その後デンマークやイギリスの大学で様々な教職のポストに就きました。
ローマの宗教やラテンの碑文研究、金石学を論じた考古学的題材の査読論文を数多く書き、
中世以降の古文書や古代世界の宝石彫刻にも専門的な知見を有しています。
彼の研究論文、「Emperor Worship and Roman Religion」は
オックスフォード大学出版局より2002年に出版され、
当該分野で研究している学生たちの標準テキストになっています。