極めて数が少ない古代の原始キリスト教のカメオです。
魚はイエス・キリストを表すシンボルとして、信仰を確認するために用いられたと言われています。
原始キリスト教の作品は、古代世界でまだキリスト教が迫害されていた頃に、
ひっそりとイエスを信仰するキリスト教信者が用いたものなので、
作品の数が元から少なく、古代のインタリオやカメオの中でも群を抜いて希少な分野になります。
まだキリスト教が迫害されていた頃の作品ですから、胸に迫るものがあります。
今よりもずっと生きにくい時代に、命の危険を感じながらも信仰を貫いた人々の思いが宿った作品です。
原始キリスト教の宝石の専門書に掲載されている類似の2匹の魚のカメオ、
こちらはエルミタージュ美術館に所蔵されています。
古代ローマ 3世紀 魚のレリーフ
魚はイエス・キリストのシンボルとして、
信仰を確認する為に用いられたと言われ、
聖書の中にも魚に関連する話が多く登場します。

〜 原始キリスト教のカメオ 魚を捕るペトロ ギャラリーにて販売
エルミタージュ美術館に類似品が所蔵されています 〜
例えば、漁師であったペトロが、イエスの弟子になる話などがそうです。
ペトロは、ガリラヤ湖の北に位置するベトサイダの出身で、ガリラヤの漁師でした。
ベトサイダは多くの漁獲量を誇る漁師の町で、ペトロも先祖から続く漁師の家に生まれ、
父や兄弟とともに漁業をして暮らしていたと思われます。
ある日、ペトロと仲間たちは、徹夜で漁をしましたが何も取れず、
あきらめて舟から上がって網を洗っていた時に、イエスが現れました。
イエスはペトロに、「もう一度網を降ろし、漁をしなさい。」と言いました。
ペトロは夜通し働いてとれなかった魚が、日中になってとれるはずがないと思いました。
しかし、これは"網をおろしなさい"と言われたら、
自分では無駄ではないかと思っても網を降ろしてみることが大切だということを教えています。
これは、実りをもたらすとか、もたらさないとかということは、人間のほうが決めるのではなく、
神の決めることだと聖書は教えています。
このことは人間がどんなに頑張っても出来ることは小さく、
また人間自身がいかに小さな存在であることかを語っているようです。
このペトロは後の初代教皇となります。
学識も無い漁師であったペトロが、後に学者達に向かってキリストの福音を述べ、
また、世界を支配していたローマの政治家たちに向かって、申し開きをするようになります。
最初、ペトロはキリストに、「わたしに力は無く、あなたの弟子になる資格のない者です」と言ったとき、
イエスは、「それでいいのです」と言いました
「その弱さのままでよいから、わたしについてきなさい」そう言ったとき、
ペトロに残されたことは一つしかありませんでした。
「こんなわたしでもよいとおっしゃるなら、わたしは一切を捨ててあなたに従います。」
これがペトロの答えだったのです。
小さく、繊細な彫りのカメオです。
細い線で、魚の鱗やヒレを表現しています。
カメオの美しさは、立体感や写実的な彫りが全てではありません。
そのカメオが作られた目的、作られた年代の魅力、希少価値にも是非注目してみてください。
カメオに込められた目に見えない深い美は、輝く宝石に負けない美しさを持っているのです。
とても小さなカメオですから、小さなペンダントや指輪に仕立てて身につけることができます。
素晴らしい古代ローマのオリジナルの指輪の型を持っていますので、
当時のデザインの美しい指輪を作ることができます。

